2014年 08月 20日
能「松風」を観て、香水をつけたくなった。 |
そういえば、しばらく、
香水のことは忘れていたように思う。
私は香りが好きだ。
伽羅も沈香もエルメスもゲランも。
その中にひそむ何かが、
たぶん私は好きなのだ。
若手能楽師の「松風」だった。
「松風」は恋の物語だ。
須磨に配流になった在原行平が
その土地の海女「松風」「村雨」という名の姉妹と恋をする。
数年経って行平は都に帰ることになるのけれど。
松の木に自分の唐衣をかけて形見にしてくれと黙って去っていく。
”松(待つ)とし聞かば いま帰り来ん”なんて和歌まで残して。
姉妹はその松近くの塩屋で行平を待ちつづける。
都について行くとも、行きたいとも言えない身分だから、そうしかできない。
行平は帰ってこない。すでに亡くなっているから。
そして時は流れ、諸国一見の僧が
「松風」「村雨」姉妹の亡霊とあう。
姉の「松風」は、形見の唐衣を抱いて恋慕の情をつのらせ、
松の木を行平と間違え狂乱の世界に入っていく。
ざっとそんな話なのだけれど。
月夜に汐を汲み「月はひとつに、影ふたつ」と謡う幻想。
そして、松の木を行平と見間違って抱きつく狂気。
この演目には、
「須磨の浦の月夜に美女二人」という
具体的に目にできる美しい情景と一対になって、
想いの強さの、業の深さの、妄執の苦しみがある。
「美」は狂気を抱きしめ、
「狂気」は美を研ぎすますのかもしれない。
そして、香水を思い出した。
ここ十年ほど気に入っているのは、
エルメスの調香師
ジャン=クロード・エレナのもの。
多くの香水が、セクシャリティーの強化をもくろんで
存在するのに、彼の香水はそんなことには見向きもしない。
……ように見える。
雨の香り、庭、大地の水……。
人が生まれるより遥か彼方の時間から存在したそれらに、
魔や狂いが秘められていないと言えるだろうか。
それこそ、壮大な香りの企みではないのか。
精緻に計算されたバランスで凛とたつ優雅さは、
どこかに狂気を抱きしめた
あやうさの上にあるのかもしれない。
どこか、「能」と「香水」は似ている。
若手能楽師の舞は端整で美しかった。
その美しさに、これから
どんな毒が盛り込まれていくのだろう。
10年後、いえ20年後に、
その能楽師の「松風」を観てみたいと思う。
美しさの奥に何か秘めた
とてつもないモノを見られるかもしれない、
そんな予感がするのだ。
それまで、私は、
「シャンプーの匂いが好きだ」なんて
言葉を決して許さない気配をただよわせて、
香水をつけて颯爽と生きていこう、と思うのだ。
by earlgrey01
| 2014-08-20 17:14