三月の弁慶 |
ちょっと唐突ですが、
以前に新学期を九月にしようという動きがあると
聞いたことがある。欧米にならってのことらしいけれど、
私は何かのスタートは冬と春の間がいいと強く思っている。
それは、「桜」と「学校」という妙に取り合わせのいい
日本らしい景色のためだけが理由ではない。
またまた唐突だけど、
春の発表会で「安宅」の舞囃子をすることになった。
歌舞伎の「勧進帳」の源流にあたる能演目の一部の舞。
約八分半。初心者には荷の重い男舞。
「難しいって、面白いから。無理そうな曲をお願いします」と
先生にリクエストした自分がうらめしい。
弁慶と義経が安宅の関を機転で越えていく、あの有名な話。
白紙の書簡を朗々と読みあげ、
義経かと疑われた主人を打ち据える弁慶。黙って打たれる義経。
女子だからかもしれないけれどその場面にあまり心が動かない。
グレートジョブ!ではあるけれど、
逃げるというジョブの手段のひとつだと思うから。
むしろ英雄的な決断をしたのは関所を通した富樫ではないのか。
あまり知られていないけれど、
能の「安宅」は関所を通った後にもう一つの山場がある。
義経弁慶一行が休んでいるところに富樫が酒を持って現れる。
関所での非礼を詫び酒宴を催すという。
罠なのか、逃すのか、自分の決断を確かめに来たのか。
すべてのカードは富樫が持っている。
その富樫の前で舞う、弁慶の舞が私の演目。
思惑のカオスの中で窮地を切り抜けられるのか。
義経の悲劇の宿命に寄り添いながら、
それでも諦めないと決意を込めた魂の舞(ムリ〜〜)。
平安時代と鎌倉時代のはざま。
新しい武士の時代をつくろうとしていた頼朝が
公家の官位を受けて喜ぶ義経を許す可能性はあるのか。
頼朝の私的な感情を想像すると、
平清盛の愛人になったともいわれ都で暮らしつづけた
常盤御前とその子義経を愛しく思っていた可能性なんてあるのか。
そんな中で、富樫が引き換えにするものは何だろう。
守護の地位、出世の道、悪くすると自分の命と一族の命さえも。
逃す選択肢なんて、最初から1ミクロンもないように思える。
それでも富樫は逃し、弁慶はその重すぎる想いを受け取る。
安宅の関から2年後1189年、陸奥平泉で義経自刃。
弁慶は最後まで義経を守って立往生したと伝わる。
富樫は守護の職を追われ出家、長寿をまっとうしたという。
鎌倉時代、歴史の表舞台には、もう三人ともいない。
新しい時代が始まるとき、
人が新しいスタートを切ろうとするとき、
望んでも望まなくても、
ことの重みの大小があっても、
何かを切り捨て、何かを置き去りにするのだと思う。
極寒の三月、
そして四月のスタートはその痛みを思い出させてくれる。
弁慶も義経も富樫も、三月の人だ。
夏に情熱を燃やし尽くして疲れきって
心機一転はじめる九月ではなくて。
日本の新学期はやっぱり四月がいい。
「疲れ」ではなく「痛み」を抱えて新しい旅にでる。
日本の美意識はそのようにあるのではないかと思う。
そんな空想を巡らせながら「安宅」の舞囃子の最後の仕舞は、
とっとと逃げるのではなくて
富樫に背中をちゃんと見せて逃げるのが
いいんじゃないかと思うのだけど。
私の舞はまったくそんなレベルじゃなくて、
出演すら危ぶまれている。
そこが泣き所というか、甘さというか。練習しなきゃ。