![]() 人生という道のバス停で立ち話をするように、私は、人とつきあうことがある。 恋愛もそうだけど、男女も恋も愛も友情も問わない。 真剣に考えはじめると深刻にならざるをえない、あれもこれもそれも、 とりあえずワードローブの中に押し込んで、陽だまりみたいな時を過ごす。 行き先も過去の旅も、悩みも希望も、悲しさもうれしさも。 嘘ではないけれど、外に発表できるものだけを大切に取り出して物語に書き直したような。 シャボン玉みたいに、きらきらひかって、ふっと消えるひととき。 私はこんな時間をこよなく愛している。 考えてみると会社の名前は「空」で、 私の名前は光に由来するし、このブログのタイトルもなぜか浮遊なのだ。 あるのかないのか。あったのかなかったのかわからない。 ただあたたかくぬくもった記憶のような。 バス停は物語の世界だ。 私が陽だまりでいる限りは、誰も私を傷つけないし、 私が陽だまりでいられる限りは、誰もが私に微笑んでくれる。 予定調和なわがままも言ってみたりしてたんだろうな。 永遠に陽だまりでいられたら、それはそれでいい人生だろうけれど。 でも現実の世界では、それは逃げでしかなかったのかもしれない。 そして、私は、どうしても生身の人間なのだ。 ズルさも欲も悪意も怒りも悔しさも、醜さはぜんぶ隠したはずなのに、 ポロポロポロボロ、ボロポロボロボロこぼれ落ちてくる。 結局、私の陽だまりは私の鎧でもあり、 自分以外の誰かをその醜さもふくめて理解しようとする人など、 この世の中に存在しないのだという、 とがった決意だったかもしれない。 これからは、嫌なことは嫌と言おう。 欲しいものは欲しいと言おう。 悲しいときは悲しいと言おう。 私にとってはすごくすごく難しいことなのだけど、 もう陽だまりもほころびだらけだ。 結局、 私がなにを嫌い、なにを欲しいと思い、どんな出来事を悲しむのか、 それこそが私の個性なのだ。 本心のカケラのようなものを外に出すのは、 こわいなぁ。でも、なんとかがんばってみます。 そういえば、同級生の友人はさちのママに 「彼女はみんなにええ顔をしたいから、しんどいねん」と言っていたそうだ。 「ガマンしすぎや」と言った人もいた。 私はいつも幸せそうに陽だまりをやってたのに、バレバレだった。 みんな騙されてるフリをしてくれているだけだったんだね。 ありがとう。今年も、これからも、よろしくお願いします。 # by earlgrey01 | 2011-01-02 00:13
![]() 残りの3%がガマンできずに情報を漏らして送別会をしました。 私だったら大騒ぎしてお別れするのに、そこは男の美学。3%だけごめんなさい。 そして、先輩の大阪最後の夜に懐かしい女子が7人集まりました。 そうなると、もう、誰が主役かわからなくなる。ミナミの焼肉屋。 遅れていった私が見たのは、コロコロと笑う女子たちと、 主役なのにキレイにお肉を並べて焼くM先輩。 私たちが一緒の会社で過ごしたのは、数年〜十数年。 それは、バブル期の終わりと失われた10年。右肩上がりの高揚感と失速の中、 誰もが仕事をする男女のあり方を模索していた時代だったと思います。 「区別」と「差別」の区別もつかないグジャグジャの毎日。 教科書もマニュアルもないから、とにかく探すしかないのだけれど。 そのおかげで、女子たちは、よく話した。 秘密結社なんて噂されたこともあって。 話してスッとする、誰かが話して誰かがうなずく。 そんなことを精神安定剤してた時期もあったと思う。 そして彼女たちは、自分で考え自分の道をさがして多方面に卒業していって。 その時期も、M先輩はこの日みたいだったと思います。 女子の中にいても違和感がない。 安堵のような存在感。それが、人徳というものなのですね。 私は40分も遅刻して焼肉屋に入ったとき、キャンディの缶をパコンと開けたような気がした。 キラキラ光って、カラフルで、まんまるくて。 ヨーロッパで修行をつんだ職人さんが丁寧に丁寧につくったキャンディみたいな人たち。 30代と40代の女性にむかってキャンディもないだろうけど、 「むつかしいこと、わかんない」なんておバカなセリフを言わなくても、 女性は可愛くなれるんだ、と確信して、うれしくなった。 彼女たちにも、それはいろいろあるだろう。でも、 それぞれの幸せの輪郭みたいなものを見つけたのかもしれない。 多数決でも、誰かの真似でもない、幸せはかわいい。 私はいま、健全に、モーレツに、嫉妬している。 追伸:M先輩の話をしようと思ったのに女子の話になってしまいました。 ごめんなさい。また、それは、ゆっくり。 知っている人が読めば、M先輩が誰のことかわかると思います。 「9月1日になったら言ってもいい」って言われてるから 約束を破ったのは3%だけ。あ、まだ31日ですね。ま、いっか。 # by earlgrey01 | 2010-08-31 16:59
![]() じつは私の読書好きは、かなり不思議なレベルにまで進化していて、 仕事や人間関係で混乱しているとき、出口のないあれこれに悩んでいるとき 「小難しい本を読んでリラックスする」という特技まで身につけたほど。 そんなこんな読書の話をするのが、 前の会社の上司でもあったコピーライターの先輩です。 読む本も好きな作家もそれぞれですが、 その感想も考察も議論も面白くついついワインを飲み過ぎてしまいます。 だっていまの時代、小難しい話をして嫌われないって、ほんと珍しいことだから。 難しいって、ほんとは面白い。 その先輩が、読書日記のブログを開設しました。 先輩のまとまった文章を読むのは、ひょっとしたら十数年ぶりぐらい? 文字の模様か?と疑うような、長い文章。 緻密に計算された建築物を思わす、論理展開。 文章のリズム、正確な言葉選び。 なんで、この文章が評論の本ではなくブログなんだ? 久しぶりに驚嘆しました。 そしてもうひとつ、十数年ぶりに、いえ十数年かけてわかったことがあります。 それは、間違いなく先輩は私の文章が「嫌い」だったはずだ、と。 先輩が哲学やコンセプトを破綻なく美しくアーキテクトする「学者」なら、 私は「魔女」。「魔女」の文章だからです。 たとえば、私はお鍋の世界観を語るのに、 臆面もなく宇宙のビッグバンの話なんかを持ち出して、 「どう?」と自慢げに澄ましているからです。 まぁ、ここで「魔女」って言葉を出すこと自体「魔女」っぽい。 コピーの指導をしてくれていたころ、 なんて細かいチェックだろう? 私の使っている言葉でもいいんじゃないの?とか ほんとうに意見が合わない。と思ったもの。 その頃、先輩がよく言っていたのが、 「世界とキミの戦いなら、世界の勝ちだ」という言葉(正確に思い出せません)。 世界=客観。キミ=主観。という話だったと思います。 (正確な言葉は、コメントで教えてくれています) そんな言葉をきいても、私は「結局、客観って、主観の集まりでしょ?」とか ネジがひとつ多いような不思議な脳みそで考えていて、先輩はお手上げだったはず。 すいません。いまなら理解できます。 おかげで私はそこそこ客観性をもったレベルの魔女に成長することができて、 いまでも、なんとか仕事になっているんだなぁ、と思います。 ありがとうございます。先輩が、先輩でよかったです。 でも、 やっぱり、 私の文章、 嫌い でしょう? この前、ある先生に文章を誉めてもらった話をしたとき、 「そうだね、最近、文章、うまくなったね」って言ってくれたけど、 声がちょっとうわずってましたよ。その様子を見て、 やっぱりやっぱり、私の文章、嫌いなんだなぁ。と、 魔女は小さく笑っていたりして。 追伸:読書の話は、次かその次にします。実は先輩も同じ本を読んでいて、 その考察を読みながらもう一度読み直しています。 同じ本の感想でもかなり違っています。また後日。 あ、そうそう。今回の写真は、昨年「ひとり東尋坊」旅行したときのもの。 その話もまだでした。孤独を学びに行ったのに、まったく楽しんでしまいました。 それも、また後日。 # by earlgrey01 | 2010-08-06 20:27
![]() 大切な後輩のキミへ。 じつは、伝えたいことがあったのだけど、機会を逸してしまいました。 率直に言うと、私は伝えない選択をしようとしていました。 でも、やっぱり、それは違うね。 誠実ではないと思いました。だから思い直して、 キミと、キミの世代の大切な後輩たちに思っていることを 少しずつ書いていこう思います。 キミはよくできた若者だから、 私の助言はあまりあてはまらないかもしれません。 でももし、これから書いていくはずのいくつかの文章を読む機会があって、 何か感じるところがあれば、うれしいと思います。 あ、そうそう。 キミは、どうして直接会って言わないのか、と怒るかもしれないね。 会うのが一番なのに、誠意がない、想いが足りないと 苦々しく思うかもしれないね。 でも、会って喋る良いところは、言葉が消えること。 文章に残すことの良いところは、いつでも読み返せることです。 私は、文字で残したかった。 いまは”違うな”とソッポを向くようなことでも、 いつか振り返ってみると違う印象を持つかもしれないからです。 私が、この世でいちばん危険物だと思っている言葉は「正しい」です。 「正しい」という言葉は、世の中にたったひとつという顔をして澄ましているけれど、 本当は無数にあります。私の思う「正しい」とキミが思う「正しい」は微妙に違うし、 どちらも「正しくない」とは言えないでしょう? 「正しい」って、よく考えると、主観なんです。 そして、いったん「正しい」と決めてしまうと、 主観かもしれない「正しい」からハミ出す人やものごとを 攻撃してもいいという証明書をもらったような気がしてしまう。 そうなると、どんなに穏やかな人でも「正しい」という言葉のもとで 攻撃的になってしまう。私は、それが、恐ろしい。 キミは「正しくない」ことが嫌いだよね。 だから、キミの考える「正しくない人」を敬遠する傾向にある。 それが、キミの可能性の幅を狭めていると、私は思います。 たぶん多くの人は、私やキミと同じように正直さや誠実さや一生懸命の中に ほんの少しだけズルさや甘えや欲なんかを持っている。 キミだけの世界観で善い悪いを判断してしまうと、 その人たちから学べなくなる。その人たちを理解するキッカケを失ってしまう。 それは、とても悲しいことだと私は思います。 そのうえで、あえて誤解を恐れずに言うと、 ネガティブなこと、悪いと思われることの中にも意味があると思うのです。 だから、ほんとうの世界は、 キミが思っているより少しだけ大きいと考えてみませんか。 キミが見ているのは、その人がほんの少ししか持ってないズルイ所かもしれない。 キミが見ているのは、その人がほんの少しだけ甘えた所かもしれない。 キミが見ているのは、その人のほんの少しだけ。なのだと。 世界は、キミが思っているより少しだけ大きい。 そんな視点で世の中を見てみると、 きっと、キミが思っているより、 世の中は美しくなると私は思います。 ちょっと説教くさくなっちゃったね。 冷や汗をかきながら、コッ恥ずかしいけれど、エールのつもりです。 これからも、少しずつ書いていこうと思います。 まぁ、よろしく。 # by earlgrey01 | 2010-07-23 18:15
![]() 友人も先輩も後輩も、”飽きてるけど注意しとくわ”という顔で私を見る。 偲ぶ会のときも、東京の友人が、飲み方が破壊的だと遠回しに注意してくれた。 このままでは、友人も・仕事も・信頼も・お金も・健康な肝臓も・健全なココロも・ つややかなお肌も・生キズのない腕も・ケガのないセーターも・気持ちのいい朝の時間も 失って、アル中に一直線だ、そう。 みんな、ありがとう。 でも、私は、大丈夫! の、はず。 だって、アル中のオッサンとは、根っこがまったく違うからです。 いま読み直している新訳「罪と罰」。そこにも、お約束のアル中のオッサンが登場します。 場所もお約束の場末の居酒屋。こんなオッサンは、世界のどの都市でも同じ。 パリでもNYでも東京でも北京でもモスクワでも、たぶん火星でも一緒。 アル中のオッサンは、世界共通言語なんです。安酒で酔いつぶれて、店主や客に嫌がられながら、五百万回ぐらい過去の自分の栄光を語る。どれだけ期待されていたか、どれだけ稼いでいたか、どれだけ尊敬を集めていたか、どんな有名人と知り合いだったか…。 お酒のせいで、友人も・仕事も・信頼も・お金も・健康な肝臓も・健全なココロも・ つややかなお肌も・生キズのない腕も・ケガのないセーターも・気持ちのいい朝の時間も 失ったのだろうけれど。 彼らには、その前に、あらかじめ、失われていたものがある。 それは、人間の「誇り」のようなものだ。 私がいちばん大切にしているもの。 人間にとっていちばん大切だと、私が思うもの。 アル中のオッサンは、失ったことを忘れたくて、誇りを持っていた過去に戻りたくて、 酒をあおる。でも、いくら酒を飲んでも誇りは決して戻らない。 だから、ただただ飲み続けるしか策はない。 気の毒だけど、オッサンの価値のデブレスパイラル。 その点、私の酒は。 お喋り・お喋り・笑い・お喋り・お喋り・笑い・笑い・転倒・笑いのインフレ。 バブルが弾ける前に売り抜けさえすれば、ずっと右肩あがりのはず。 だから、私とオッサンは、現象は似ていてもまったく違うのです。 つい最近も、気持ちよく飲んでごきげんさん。 電車で帰れる時間まで飲んで、ごきげんさん。 帰る間際に、一緒に飲んでいたHさんが言った。 「片足立ちしてみ」 「え、」 「片足立ち、、、、してみ」 それって、猿回しの猿やんか。 「誇り」とか大きなことを言う前に、 人間ですらないやんか。 ぐすん。 みなさん、ありがとうございます。 NYの株の暴落も心配ですが、 私の暴落も心配なので気をつけます。 ほんとにいつもすいません。ペコリ。 # by earlgrey01 | 2010-06-30 15:40
![]() じつは、テーブルを新しくした日、 「テーブルを新しくしたから、いいお茶を買った」って素敵だなと、 お値段にめまいをおこしながら上等な日本茶とアールグレイを買いました。 でも、これがお値段と反比例してあっという間になくなって。 こんな贅沢は続けられないなぁ〜と思っていたところ、 目についたのが「焼き網」。 これなら、なくならない。 そのうえ、焼くだけなのに、カラダにもココロにもやさしい。 仕事で遅くなったり、急な会議がはいったり。 計画的な食生活が望めない人には、ぜったいにおすすめです。 残り野菜やチーズのかけらや沢庵など 残り物を探すだけ。ただ焼くだけ。 あとは、ポン酢か、塩か、塩とオリーブオイルか、アンチョビか、 黒酢とか、バターとお醤油とかで食べるだけ。 日中なにも食べてなくて夜中に帰ってきても、 コンビニのお弁当じゃなくて、 野菜や残りものを焼くだけで、明日もがんばれるような気になるから不思議。 蒸し野菜も美味しいけれど、 焼き野菜のいいところは焼ける様子をみながら、 お箸でコロコロ転がして手をかけるところです。 手間をかけて素材を大切にすることが、 結局、自分を大切にしているんだって実感できるのかもしれません。 メンテナンスって、 結局、こういうことかもしれないですね。 自分を大切にして、丁寧に生きる。 なかなかできないことが多いけど、もう一度、見直してみようと思います。 あ、そうそう。焼き網でトーストもできるらしいです。 油の落ちるお魚やお肉は無理だけど、 水切りをした豆腐を焼いても美味しかったですよ。 # by earlgrey01 | 2010-06-25 15:39
![]() 考え事をするとき「歩く」という人は多い。私もよくそうしている。 そして私にはもうひとつ、考え事をするときの友にしていることがある。 「料理」、それも「煮込み料理」。 料理の腕はなくても、やがてスープになる「水」とお肉や野菜の「素材」と「鍋」を 信じるだけで、たいていは失敗しない魔法の料理。 調味料の順番さえ間違えなければ、美味しい料理ができあがることは あらかじめ決まっている。 ただ、こちらの心持ちが、多少、いえ、かなり影響するのが怖いところだけれど。 冷蔵庫には、知り合いのプロデューサーが企画・生産している阿蘇「草うし」の すね肉が入っている。レストランから飲みきれずに持ち帰った赤ワインもある。 目指したのは「ボルシチ」。レシピを見ると、赤かぶビーツや野菜・お肉を ブイヨンと赤ワインとビネガーで煮込む、、、らしい。 肉の下ゆでをしている間に、野菜を切る。ボウルの中にきれいに並べる。 美術と理科の授業を一緒に受けているような気分。 数年前まで、私は、煮込み料理を「待つ」時間を愉しむ料理だと思っていた。 美味しくなるのを、待つ。一緒に食べる誰かを、待つ。 そう、煮込み料理は、たくさん「待った」時間のあとは必ず ハッピーエンドが訪れると信じて1ミクロンだって疑わない、おとぎの国の幸福な料理。 煮込み料理のいちばんの調味料は、すこやかで平穏なココロなのだ。 そのせいなのか、私は、ときどき失敗をした。 火加減を見誤ったり、煮すぎてしまったり、かまいすぎてしまったり。 「水」と「素材」と「お鍋」と「時間」に、 先行きみたいなものを、ゆだねることができなくなってしまうからだ。 今回のボルシチはどうだろう。 煮込む時間のために『哲学者とオオカミ』という本を用意した。 おとぎの国の魔法に対抗するには、 野生の、自然の摂理のような強烈なスパイスが必要なのだ。 できあがった時、私は根本的なことに気が付いた。 何度か食べたことはあるけれど、ボルシチの味をちゃんとは知らなかった。 確かに美味しいシチューではあるけど、これがボルシチかどうか? まぁ、料理に名前があるのは「おとぎの国」だけで、 「野生の国」の料理には名前がなさそうだから、それも、いいかなぁ。 # by earlgrey01 | 2010-06-14 16:39
![]() 私には「ほーーーんブック」と聞こえたのです。 そう、「ほーーーん(本)ブック」。 なに? この「とびらのドア」みたいな名前。 でも耳障りが心地よくて、なんだか魅力的。 よくよく話をきいてみると、正しくは「Phone Book」。 まぁ、そやね。この時代やしね。「本ブック」と聞く方がおかしいですよね。 簡単に言うと、子供たちが読む絵本に、親のiPhoneを差し込んで、 タッチ操作をしていくと、深海でお魚さんが踊ったり、 宇宙空間に飛び出して隕石をやっつけたりできる、 親と子供のコミュニケーションツールにもなるインタラクティブ絵本。 家族で一緒に見て触れる「紙芝居」みたいなもの? You Tubeで見ると、めちゃかわいい。めちゃ楽しい。 「これは買いかも!」「誰かの子供にプレゼントにしたい!」 ひょっとしてひょっとして、 親が画像やコンテンツを簡単につくれたりする? ○○家パパのオリジナルの絵本なんかもつくれたら面白い? とりあえず、主人公の名前を子供の名前に変換できるとか? (現在は、インタラクションを伴わない写真は利用できるらしいです。 「モバイル表現研究所」HPから。) 子供も大人も夢中になりそうな。 i-Phoneも新大陸を発見したんだなぁ〜〜〜と感服しました。 が、、、、 これって、アナログの「絵本」の部分は、 写真スタンドの「スタンド」みたいなものでしかない? iPadで絵本をつくるなら、アナログの「絵本」の部分は必要ないような。 デジタルとアナログの融合には違いないけれど、 発展途上なのかな、カタチでの融合が目立つのが、なんだか惜しい。 私は「これから電子出版の世の中になる」という単純な未来像に違和感がある。 本の、出版物の多くが電子出版にかわっていったとしても、 半分ぐらいは「本」のまま残ってほしいと思っている。 そもそも本って、なんだろう。 『わずか数mmのパッドの中に、本が何冊も入っている』 『操作もめくる動作でできる』 『百科事典も辞書も何十冊も入っている』 それって、本当に、誉め言葉なんだろうか? 鞄の中に、小難しいハードカバーとお気軽な文庫本と名作の文庫本と新書。 それって、不便で大変で改善すべきことなんだろうか? 紙の手触りや新刊の匂い、装丁。本の楽しみは、内容だけではないはずです。 紙の質感から指を通じて伝わる、感覚。 紙のふとした匂いが教えてくれる、新刊か多くの人が手を触れた本かどうか。 文字の大きさが変えられないからこそ伝わる、作者と編集者の意図。 本を持っていることを意識する、重さ。 内容の一部を示唆する、本自体のサイズ。 「本」という物体は、内容とそのほかぜんぶひっくるめて作品だと思うのです。 ある人が、ある本で 「電車で本を読んでいる女性を見た。きっと美しい人に違いないと思った(こんな意味)」 と書いていた。電子ブックでも、そう思える日がくるまで百年はかかりそう。 「ほーーーん(本)ブック」。 まったくの聞き違いだったけれど、いつか、どんなものかもわからないけれど、 「ほーーーん(本)・ブック(電子ブック)」ができたらいいな、なんて。 この空耳、私の潜在意識の中にある不思議な望みだったのかもしれませんね。 # by earlgrey01 | 2010-06-03 15:25
![]() お世話になった会社の前社長の「偲ぶ会」をしました。東京と関西から三十名弱。 お線香をあげさせていただいて、奥様の心のこもったお料理とワインまでいただきました、 ありがとうございました。 そのあと、焼肉屋と前社長が愛したバーで懐かしい人たちと、懐かしい時間を過ごしました。いい本を読んだ後のような、いい音楽を聴いた後のような、心の中を淡い光で照らして温めてくれるような会でした。 じつは、この「偲ぶ会」が実現できたのは、 会社の卒業生のクリエーティブディレクターの力があってこそ。 本人も、痒くなるような、こっ恥ずかしい誉め言葉だと思うけれど、 私も、言葉で誰かに言うのは、けっこう、こっ恥ずかしいので、 このブログを読んでくれている人だけお知らせします。 前社長の、顧問を引退されたばかりの突然の病気。1年にも満たない闘病生活。 いつも核融合を起こしているようなエネルギーを持った人の、訃報。 それだけでも、心が現実に追いつかないのに、 その中で、粛々と行われるお通夜・告別式。 さらさらと水が流れるように、帰っていく、懐かしい面々。 整理されない悲しみや重さを抱えて、 誰もがどうしていいかわからない、と思っていたと思う。 そこをぐいぐい踏み込むのが、そのクリエーティブディレクターらしい所。 「面白んない会社になったな」「みんな飲みに行くで」 「なんで帰るの?」「もっと偲べへんの」「酒のもうや、○○さんの告別式やで」 告別式の後で十数人で軽く飲んで、そのときに口約束した「偲ぶ会」。 誰もが実現すればいいな、と願ってはいても、 誰も実現するとは思わなかったはずです。 でも、彼と、もうひとりの卒業生は、そこをもう一歩踏み込んだ。 いままで、好ましいとは思えなかった「暑苦しい力」。 それは時として面倒だし、やっぱり暑苦しい。 でも、その力が何かを動かしたのだと思う。 美しくてお行儀のいい才能もあるのだろうけれど、 ほんとうに何かを動かすのは、熱つかったりベタベタした エネルギーなのかもしれません。 今回は、ほんとにほんとに、ありがとう。 その力、やっぱり凄いです。 素直にそう思えるようになったのは年を重ねた証拠かもしれないけど、 素直になるのって意外と心地よかったり、しています。 遠い昔のイガイガした自分も愛おしいけどね。 それにしても、 「私もこんなふうに思えるようになったんです」なんて、 もう一度、前社長と話したかったなぁ。 追伸:◎前社長が愛した生駒のバー「チャールストン」では、 「偲ぶ会」のために多くの席を融通していただきました。 マスターから「偲ぶ会の会場に選んでもらってありがとうございます」 とのコメントをいただいています。 ◎「偲ぶ会」のカードのイラストは、大江純平くんが描きました。 突然なのに気持ちよく描いてくれてありがとう。 空想と現実の間に迷いこんだような世界は、優しいね、ありがとう。 # by earlgrey01 | 2010-05-24 19:09
![]() やっぱり Life is what happens to you while you are making other plans. です。 平凡な人生とか、普通の人生なんて、どこにあるのだろう。 いまも交流のある高校時代の友人が数人いる。 その頃のその高校は、特に賢くもないけれど、名前を言っても、まいいか。と思えるクラス。 中流を絵に描いたようなのんびりした高校だった。授業をさぼってバーゲンにも行くけど、 ちゃんと勉強もするし、部活にも打ち込む。あらゆる意味で健全な高校生。 私も含めてみんな平凡な人生を送ると思っていた。ノーベル賞をとったり女優になったり ウインブルドンで活躍したり、どんな可能性も提示されていたけれど、多少の起伏はあっても 平凡な人生しかありえないし、それこそが幸せなのだと、漠然と思っていた。 大学を出て就職して電撃結婚した友人、草野球で恋に落ちて結婚した友人、 一流企業のOLになって寿退社をした友人、高校時代の同級生と長くつきあって ゴールインした友人、いまだテニスのコーチをしている友人…。 このスタートのどこに、それからの彼女たちの数十年を暗示する言葉があるだろう。 平凡な人生って、どんな人生だろう。 幸せのモノサシは本人だけのものだから、私にはわからない。 でも人生の絶対値は、予想を遙かに超えて大きかったに違いない。 昨日、ずっと手紙を書きたいのに、書かなくっちゃいけないのに、 書く言葉がみつからない友人から留守電が入っていた。お知らせだったけど、 声を聞いたら、痛いことも温かいことも、 すべて現実なんだなぁーーーって、あらためて実感した。 留守電の最後は「忙しいのにゴメンね」と結ばれていた。 私は、昔から、そしていまでも「忙しい」に逃げている。 いろんな出来事にまっすぐに立ち向かう彼女たちを思うとき、 その強さとしなやかさには、とうてい、かなわない。 この世に存在しないかもしれない「平凡な幸福」という脅迫。 みんな、ひょっとして、ウインブルドンに行けなくて苦しんでいるのではなく、 「平凡な幸福」がみつからなくて苦しんでるのかもしれないね。 だったら、そんなの、はじめっから存在しないかもしれないんだし、 個人名のついた幸福を探せばいいんじゃないのかな。 # by earlgrey01 | 2010-05-18 16:03
![]() ここでもつい何回か前に、先生の誕生日について書いたばっかりだった。 それに、このブログに多く登場している。 2週間前にすごくすごくお世話なった、前の会社の社長だった恩師が急逝して、悲しみがまだ重くのしかかっているのに。「こんな時でなくてもいいじゃない」と神様にグチりたくなる。 その日のその時、偶然にも友人と法善寺で飲んでいた。 いつもの3人組で2日前に飲んだところだし、その日はやめとこうかと思ったのだけど、なんだかいろいろはき出したくて、ついつい行ってしまった。その夜は確かにちょっと奇妙だった。いつもなら、満席か予約でいっぱいの焼き鳥屋「山正」をのぞくと2席空いたばかり。 いつもなら、最近「さち」を少し避け気味な友人が「今日はママと喋りたいから行きたい」と言って顔を出した。次に行ったバーは先生のブログにもでてくるところ。 ひとつづきの、新月の頃と満月の頃に旅だった、ふたりの恩師。 2人はよく似ている。 豪傑でゴージャス。 酒好きで美食家、もちろん女性も、、だろうと思う。 同意してくれる人は少ないかもしれないけれど、 私は、2人の恩師に、嘘のつけない清潔さと潔癖さを感じていた。 そして、なによりも、私はふたりとも死なないと思っていた。 なんだかんだありながら、なんだかんだ言われながら、 数百年後も数千年後もタチの悪いヨーダのように生き続けると、 確信のような思いがあった。 先生の話を書くとき、私は、桜の写真をよく使った。 まだまだたくさんあるのに、さ。 数十年分はあるのに、さ。 ご希望なら数百年分だって撮っておくのに、さ。 友人から「影響を受けた大切な方のご不幸が続くね」と お悔やみと励ましのメールをもらった。 こんなに早く旅立っちゃうなんて、 ふたりとも、ほんとに、ほんとに性格悪いと思うよ。 # by earlgrey01 | 2010-05-01 21:38
![]() わざわざ行ったわけではなく、ある大切な土曜日に、偶然、近くに行く用事ができたのです。すっかり忘れていた土佐稲荷神社。私の偶然ループも、けっこう気が利くじゃない。 その神社は、私が十数年お世話になった広告企画会社の近所。 毎年、そこでお花見をしたのを思いだします。 そのころは、桜がわらわら咲いているだけの、ただの地域の神社にしか思えなかった のだけど、土佐藩邸跡地。大河ドラマ「龍馬伝」にも登場する日本郵船・三菱の創始者、 岩崎弥太郎が明治時代に大阪での居をかまえた所です。 いまは歴史散策の道、公園も整備されて、あの頃の面影は数十本もの桜の樹だけでしょうか。 いまや、その広告企画会社も本社を東京に移し、大阪事務所も移転しました。 あのころの、あの会社の花見は、伝説のバラエティー番組のような、パワハラとセクハラと、 若い情熱と爆発力と、ありあまる感情や友情や欲や野心や汚物をてんこ盛りにした、 ビッグバンのような会。入社してはじめて参加した時、隠し芸がオモロないと叱られている子がいたり、裸で樹に登る子がいたり、誰かが誰かに抱きついていたり、どこかから何かが 飛んできたり、女子が泣いていたり、吼えてる子がいたり。 も、もぅーーーーーー、わけ、わかんない。 そして私も、会社のトイレに鍵をかけて、すやすや眠ってしまったり。 代理店の人と会社の人が鍵をぶち壊して救出してくれたり。 よくも悪くも『おとぎ話』のような人生の季節。 あれから、それぞれに、それぞれの道をいって、十数年。 土佐稲荷神社の桜は、もう葉桜。ひと風吹くたびに、数千の花びらが舞い散ります。 あのときあの渦の中心で爆発を誘発していた人も、千の風になりました。 でもでも。よくわからないけど、大丈夫。 温暖化しても、社会が変わっても、数十年後だって、百年後だって、 土佐稲荷神社の桜は咲く。だから、なぜでも大丈夫。 なにが大丈夫なのかも、よくわからないけれど、大丈夫。 それにしても、いい天気だったな。ありがとう。 涙落ち 悲しみやっと 空の下 # by earlgrey01 | 2010-04-21 18:25
![]() そのきっかけは、ふと気になったクラシック音楽の「ピアノソナタ○長調」や「交響曲第○番」「超絶技巧練習曲」という名前。この前、千住真理子さんが弾くセザール・フランクの曲が気に入って、題名をみたら「ヴァイオリンソナタ イ長調」。前から見聞きはしていたけれど、この整理番号みたいな曲名は、なんやろ? なんでやろ? と思って調べはじめたら、恐ろしい迷宮に入ってしまったようなのです。 音楽には『絶対音楽』と『標題音楽』があって、クラシック音楽のほとんどが『絶対音楽』。 それは 「物語そのほかの文学的な何ものかを表現しようとするのではなく、」 「音楽そのものを表現しようとした、音楽」 「音を組み立てて音楽をつくることを目的とした音楽」 「自然界に内在するイデアを追求」んんんんん? 「音楽の調和は、自然界の調和の象徴」nnnnn? 「中世において、音楽は算術・幾何学・天文学と並んで、数学的4科のひとつだった」 えっと。ということは、 私が聴いた千住真理子演奏、セザール・フランク作曲「ヴァイオリンソナタイ長調」は、 セザール・フランクが『イ長調』の音を組み立てることによって、 自然界に内在する音楽のイデアを追求。 約百年後、日本の千住真理子の解釈でヴァイオリン演奏した、 自然界の調和を表現したものってこと? よね? 音楽って、なに? こむづかしい。 でも、なんとなく、わかるような気もする。 でも、やっぱり、わからない。 なんとなくだけど、まったく違うかもしれないけれど。フジ子・ヘミングの演奏する『ラ・カンパネラ』には違和感があった。楽譜よりゆっくり弾いているのだそうだけれど、東洋っぽくて、音楽そのものの美、というよりも『調べ』とも言いたいような、作者がねらうものではなく別種の美しさのように感じたからです。 数千年も続いているクラシック音楽は、やっぱりただ者じゃないなぁ。 これは、いっぱい聴くしかなさそう。 でも、結界があるみたいにライブから遠ざかっている。 神さまのおはからいだから、ゆっくり機会を待ってみようと思います。 数学と音楽。中世では惑星の軌道を音楽で記述しようとした科学者がいたとか。 感覚としてはわかるような気がします。小説で映画にもなった『博士の愛した数式』みたいなことなのでしょうね。素数は孤独、とか。 長調と短調も不思議。長調は明るい、短調は暗い。と言われるけれど、どの民族でも、どこの国で育っても、どんな時代でも、同じように感じるのは、なぜだろう? やっぱり、私には、こむづかしすぎるかも。 # by earlgrey01 | 2010-04-01 18:55
![]() 突然ですが、日本の人口は約1億3000万人。1年は365日。単純にわり算しても、同じ誕生日を持つ人は356,164人。珍しいことでもなんでもない。偶然ループなんて大騒ぎする必要もない。もし、ひとりの人が一生で知りあう人が約300人。人生に影響する人なら数十人。誕生日まで知ってる人はもっと少ない。と、考えなければだけど。 もう想像がついていると思いますが、 3月XX日、この誕生日をもつ恩師と友人が3人いる。 多いのか普通なのか運命とかを感じた方がいいのか、まったくわからないけれど。 それにしても、最近の私の毎日は、どうしてこうもダヴィンチ・コードみたいなんだろう。 神様、奇妙な符号なんてまったくいらないから、 私になにか話があるなら、まっすぐ言ってくれた方がいいのよね。 確かに3人とも、私の人生の、重要な場面で大切な意味を与えてくれた人たちに違いない。 しかも奇妙な符号もある。私の人生のパラダイムみたいなものが、ひょいっと変わるとき、 そばにいる人たちだ。 そのひとりが、川柳の師匠、中田昌秀先生。 たぶん病院でむかえる80回目の誕生日。 中田先生とは4年前、「さち」で会った。 会社のオープニングパーティーの3日前。 その日から、私は川柳という17文字の日本語の宇宙を旅することになる。 あの出会いがなかったら、私は「日本語の表現」について、いまほど考えなかったと思う。 中田先生は、表現の世界を広げてくれた人。 もうひとりは、コピーライターになるきっかけをつくってくれた人。 もうひとりは、会社のスタンスを変えるとき背中を押してくれた人。 3月XX日生まれ。同じ星のもとに生まれた恩師と友人。 奇妙だけど、みんな表現者として、私に意味を与えてくれている。 星占いとか、細木数子さんとか、やっぱりなにかあるのかなぁ。 # by earlgrey01 | 2010-03-18 18:51
![]() 文楽も、相撲も、スーパー歌舞伎も、雅楽も行ったけれど、歌舞伎は初めて。 最近よく飲んだくれているミナミの居酒屋の女将さんに招待券をいただきました。 女将さん、お相撲でいうところの谷町でしょうか 京都南座で歌舞伎。となると、着物か、せめてワンピース? 特別な作法があったらどうしよう。心配事は多いけれど、女将さんが笑いながら、 着物じゃなくていいし、気楽に行ってらっしゃいとおっしゃるので、 若気のいたりで許してもらおうと出かけました。 メインキャストは、市川亀治郎と中村獅童と中村翫雀。 夜の部 午後4時開演 猿之助十八番の内 「通し狂言 加賀見山再岩藤ーー骨寄せの岩藤ーー」 市川亀治郎七役早変わりーー「花の山の場」宙乗りにて相勤め申し候 これなら、初心者でもなんとか大丈夫そうです。 午後4時開演で、午後8時45分まで。幕間にお食事時間とも思われる30分の休憩があり、 観劇というより、半日かけてお花見に行っているような気分。 そういえば、お相撲もそんな感じだった。 「物見遊山」。それが、日本の遊びのコンセプトなのかもしれません。 そのうえ祇園。舞妓さん5人ぐらいを連れた旦那さんもいらして、 その様子も私にとっては物見遊山。 そして歌舞伎です。難解かも?という予感を遙か彼方に吹き飛ばして、圧倒されるばかり。 百年単位の時間に磨かれ洗練されていった芸能は、こんなにエンターテインメントなのかと、 ちょっとなめてかかっていた自分を深く反省しました。 衣装、舞台、すべての役者さんのシンっとした佇まい…。 美は細部に宿ることを身をもって教えてくれているようでした。 私の勝手な考えですが、日本の芸術・芸能は差異を愉しむものだと思っています。 歌舞伎や能、茶道にしても、そのありようや所作はあらまし決まっていて、 その中で個性や新しい解釈を見いだしていく。 銀河系の宇宙に出ていくというよりも、ココロのミクロの宇宙にダイビングしていくような。 今回の歌舞伎は、まさに、そんな体験。私も、いつか、早変わりや殺陣、 歌舞伎の家や役者によっての演じ方の違いを愉しめるようになれればと、 いつの間にか、お客さんのプロになる決意まで固める始末。 人生初の「歌舞伎」遊山。 「遊山」とは、本来、禅宗の言葉で仏教語だそうです。 「遊」は自由に歩きまわること。「山」は寺のことで、修行を終えた後、他山(他の寺)へ 修行遍歴の旅をすること。転じて、山野の美しい風景を楽しみ、曇りのない心境になることを意味するようになり、それが一般にひろまって、気晴らしに遊びに出かけたり山野で遊ぶ意味になったと、語源辞典にありました。 歌舞伎を観て、曇りのない心境になる。 勝手に言葉をつくって、はしゃぐのも間違っていると思いますが、 もしそうなれるなら、宝くじが2回当たったような おトクなお遊びをみつけたってことかもしれませんよね。 # by earlgrey01 | 2010-03-15 18:11
![]() 前回から続く、あの日の夜。 気持ちよく飲んで、気持ちよく記憶をなくした、あの夜。 ひとつだけ覚えている光景がある。 何時だったのか、ほんとうにあの夜のことだったのか、現実にあったことかどうかも、 わからないのだけれど。 六席でいっぱいになる『さち』にいた。友人たちとの楽しい会話。 ひとりの友人が外で誰かと話している。 『さち』の扉のむこう。法善寺のお社との間にある60cmぐらいの小径。 理由はわからないけれど、私が行かないといけないような気がして、外に出た。 友人が誰かと話している。 『さち』の扉を守るかのように誰かをさえぎるように立って話している。 私を見つけて友人が言った。「いま出てきたら、あかんやろ」。 やわらかい音、おだやかなトーン、やすらかな響き。 その声を聞いたとき、なぜだか、もののけ姫のシシ神の森に迷い込んだような気がした。 この感覚は何だろう? うまく言葉にできない感覚。 次の日に買った本の18ページに、うまく言葉にした文章があった。 もう、これぐらいの偶然では、私はビクとも驚かない。 それは、久しぶりに買ったよしもとばななの『王国』という本だ。 少し長いけれど転載します。 よしもとばなな著『王国』新潮文庫からの転載 そして、もうひとつ、私にはわかっている。 これは、守られている女の子の生き方の物語だ。 身内の愛情に、そして目に見えない存在に、それから育った土地のエネルギーに、今まで与えた分の感謝の気持ちに………何重にも、虹の輪のように、私のまわりには愛情の輪がある。 どこまでもいつまでも大きなものに守られて生きていく、たとえたまにそれを忘れて傲慢な気持ちになることがあっても、ひとりで生きているような気持ちで暴走しても、それさえも包んでいる何かがある。本人は孤独を感じたり悲しみや試練に大騒ぎしてじたばたといろいろな感情を味わっているが、大きな大きな目で見れば、実はいつでも守られている。 守られながら世界をじっとみつめる、神様から見ればいくつになっても幼いある女の子、その目で見つめたちっぽけな、でもすべてが新鮮に輝く世界。そういう小さな物語だ。 ーーここまで転載ーー ”どこまでもいつまでも大きなものに守られて…” 動物も植物も、この惑星の一部であったことを覚えている時代の、原始の記憶。私はお酒に酔って記憶をなくし、細胞の中に眠る記憶の森に迷い込んだのかもしれない。羊水の中にいるような不思議な安堵感と、甘さの入る余地のない厳粛な理。 そういえば、最近は、社会とひとりで戦っているような気がする、そんな日々だった。 肝臓を痛めつけて、飲み代もけっこう使って、何回も何回も自己嫌悪な朝をむかえて、セーターに傷をつくり、エメラルドグリーンのスカーフを血まみれにして、会社のスタッフに迷惑をかけ、友人にあきれられながら、それでも、この感覚を実感できたのは、メッケもん! かもしれない。 『さち』は、法善寺の境内。不動明王から5mほどの場所。ここにお店を構えて数十年になるらしい。この前ママはお客さんに年齢を聞かれて「私? 五百歳」と答えていた。そう、なにが起こっても、なにが起こっていても不思議ではない。 私が迷い込んだ幻想の世界はおいておいても、 具体的な現世では、あの夜、迷惑な酔っぱらい女だったはずだ。 ごめんね、友人のみなさん。そして、いつもありがとう。 直接言うのも気恥ずかしいので、ここでお礼を言わせてください。 あ、それから、、、。あの日、私、お勘定もせずに帰ったそうで、、、。 ご迷惑をおかけしたうえに、おごってもらって、 ほんとにほんとにありがとう。 いつもいつも、気持ちやらお酒やらもらってばかりですいません。 いつか神様に、そのツケを請求されるのも怖いので、 気の毒な人や小動物や草木にお返ししていこうと思います。 めぐりめぐって、いつか友人のみなさんに、 何かのカタチになって喜んでもらえたらいいのだけれど。 # by earlgrey01 | 2010-03-04 19:13
![]() また、、、、やってしまった、、、、、、。 部屋の中に飛び散るバッグの中身、玄関で豪快に暴れているハイヒール。 アート作品のように美しく円弧を描いて散乱する100円玉と10円玉。 また、自己嫌悪の、朝が、きた。 お約束の手順で、身辺チェック。 えっと、財布とケータイはある? ほっ。 それから、怖〜い怖〜いケータイの発信記録と発信メールチェック。 え、ウソ、なにもない。 なんだ、覚えてないけど、大人で平和な夜だったんじゃない。 コーヒーを煎れてパンを焼いて、ほかほかしてる時、ふと目にとまったセーター。なにげなくクリーニング袋に入れようとしたら、まるでセーターが『大人で平和な夜なんて、あるわけないじゃん。なに寝ぼけたこと思ってるのよ』とでも言うように、いくつかのひっかけた傷と、ボタンホールより大きくゴルフボールより小さい穴を見せつけた。 あわてて点検すると、、、、、痛くないけど、あった。 骨折してるかも〜〜〜と疑うような、腕の激しい打ち身。 ドクターXに手術してもらったアキレス腱付近の、擦り傷&打ち身。 (歩けるけど大丈夫かなぁ〜〜〜〜、ドクターX、ごめん) そう、また、、、、こけた、、、、、。 そして、セーターも負傷した。 白状すると、このセーターにはほかにも傷がある。 女性ならわかると思うけど、 スゥイートな間柄じゃないけれど、それなりに個性的におしゃれには見せたいし、 春風ぐらいは女性の魅力もそよがせてみたい、そんな時に選ぶ服のひとつなのだ。 そんな日に限って、私は、気持ちよく飲んで、気持ちよく記憶をなくす。 あの日は、途中で血まみれ事件のMさんと合流した。場所は法善寺の『さち』。 体温37.2℃ぐらいのほんのり酔い加減。気が置けない友人と気が置けないお店。 川柳の会の先輩方もいらして、気持ちよく記憶をなくすには、絶好の?絶悪の?環境だった。 コーヒーを飲み終わって、すぐにセーターを繕った。繕い跡は、もう3つになる。 この傷跡は、私への戒めなのか。『着てはもらえぬセーター』の悪口を言った私へのタタリなのか。なぜか、捨てたり、見捨てたりしてはいけないような気がする。 愛おしくもあり、大切な記憶のような、一着。 私は、これからも、このセーターを着て、 気持ちよく飲んで、気持ちよく記憶をなくすのだろう。 セーターの傷は、女の勲章。ではないよね。 セーターに傷もつ女。ちょっとミステリアスだけど。 玉に傷。それは、正直、厚かましいです。 とりあえず、傷口に塩をぬるようなことはしないから、 これからもつきあってね、とセーターに頼んでおくことにしときます。 この夜の話、次回につづく。 # by earlgrey01 | 2010-03-02 13:49
![]() ケータイやメール、ネット社会。それらへの発言やコピーはたくさんあります。 敬愛するコピーライターの先輩は、ある人は「ケータイが新しい寂しさを発明した」と書き、ある人は「出会いという美しい言葉を汚したのは、私たちがつくり出したネット社会です」と書いています。 新しいメディアがスタンダードになっていくには、 賛成も批判も創世記の神さまみたいにまぜこぜにしたあげく、ぶつかって見直してぶつかって見直して落ち着いていきそうだから、いまはその泥んこの中なんですよね。もちろん、諸先輩も悲しい側面だけを語っているわけではありません。 でも、私は、あえて「新しい幸福」と宣言したいと思うのです。 じつは、あるとき、ある発見をしました。 受信BOXの中のこもごもの文面を眺めると、なんだかほっとするな、と。 「おはよう」「おやすみ」「またね」「げんき?」 「ごめんね」「ありがとう」「大丈夫?」「こんどは何があったの?」 「また飲もうよ」「気にしなくてえぇよ」「アヒルちゃん!」 「とにかく眠って」「長文になってもいいから」「無理しすぎちゃう?」 「最近、どう?」「また飲んでるやろ」「言いにくいから」 「誤変換ばっかだよ」「エスコートしてくれる人はいるの?」 なんか、不思議とうれしい、言葉たち。 会ったり電話をして、言った方がいいこともたくさんあるけれど。 わざわざ声では伝えにくいけど、どうしてるの? わざわざ言うのは照れくさいけど、ありがとう。 わざわざ言うまでもないけれど、うれしかった。 わざわざ言うのは気が引けるけど、心配。 言うの忘れてたけど、おはよう。 世の中にでることのなかった気持ちや言葉も、メールなら表舞台に出られる。そんな受信BOXの言葉たちを見ていると、頭痛ぐらいの軽い不安はビュンと飛んでいって、私、大丈夫かもしれない、と思えるから不思議。 ケータイもPCも、 なんて幸福な機械なんだろう。 最近、私は、なにかあったら受信BOXを眺めています。 そう、ケータイを見ながら微笑んでる女。 ひょっとして、それ、 私の新しい怖さが加わった、、、、ってことだったりして。 # by earlgrey01 | 2010-02-16 17:17
![]() あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 新年は、そう♡、アヒルちゃんからはじめます。(友人から”アヒルちゃん”だよ、と教えてもらったので、これからは”くん”改め”ちゃん”にします。女子だった? 性別は不明ですが)。しかも年末に偶然一緒に飲んだ人から、ヨーロッパのバスタブでも活躍していることを聞いてうれしくなって、2010年の開幕はアヒルちゃんに決定です。 写真は、わが家のアヒルちゃん。年末の”光ルネサンス”で1500個限定発売。年末にKさんに教えてもらって、12月の寒空の下1時間半並んでわが家にやってきました。それからお風呂が長くなって、カラダふやふや。 私、公言していますが、パンダが嫌い。会ったこともない人間から嫌われても、パンダもいい迷惑だと思うけれど、カワイイだけで特別扱いなのが、どうも気にくわない。 だって、 ・かわいい模様があるだけで、茶色にしたら恐いクマやんか。 目だけならラクダの方がツブラな瞳。 ・絶滅危惧種はいっぱいいるし、今日も絶滅してるのに、なんでパンダだけ特別なわけ? アムールトラはカワイクないから自分の身は自分でで守れって? ・パンダの悪口言ったら、黒柳徹子にも全世界の子どもにも嫌われそう。 「カワイイ嫌い」。で、一貫していたはずなのだけど、、。 ごめんパンダ。 アヒルちゃん、カワイイから好き。 パンダとアヒルちゃん、どこが違うのだろう。 恋をするようなものだから仕方がないのよ〜、と言い放つつもりだったけれど、 発見しちゃいました、その理由。 私は、たぶん「不幸が苦手」。 「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」と告白されても、 「な、なんで??」としか思わないし、 「クマなんだけど、弱っちくって、ずっと笹を食べてないと生きられない」と言われても、 「神さまに会ったら、言っておいてあげる」としか答えられない。 不幸でケナゲって、最高に苦手。 みんな、あるていど不幸だし、あるていど幸福で。 どっちかを見て生きるなら、 ハッピーを見た方がだんぜんハッピーだと思うのです。 アヒルちゃんはバスタブの中をゆうゆうと泳ぎまわって、 ときどきシャワーの波で転覆したり起きあがったり、勝手に遊んでいます。 見ているだけで、とんでもなくハッピー。 というわけで、今年のテーマも「めざせ! ハッピー体質」。 あ、年賀状の「ハートどう猛宣言、2010」も遂行中です。 本年もよろしくお願いいたします。 # by earlgrey01 | 2010-01-29 16:04
![]() 二ヶ月に1度ぐらい、法善寺界隈の川柳の会に参加させてもらっている。川柳の面白さと私の年齢でも若手と言われる心地よさで、もう3年ほど。11月は、歌謡曲『高校3年生』の作詞家の方が亡くなった2日後で、なんと1次会も2次会も3次会も、最後はオッサン・オバハンのみなさま方が立ち上がって大合唱。その年代の人にとっては、ミスチルとかコブクロとか、そんな感じなんだろうな、なんて一緒に声をはりあげながら思っていました。 次の日はお約束の二日酔い。酒で頭がガンガンするうえに、 「あ〜か〜い ゆうひが〜(中略)クラスなかまは いつま〜で〜も」と頭の中で大合唱。 飲み過ぎる私が悪いのです。でも、でも、もう許してくださいってば。こんな感じだった。 そんな昼下がり、家の固定電話が鳴った。イヤな予感。こちらもお約束の『偶然ループ』中。二日酔いで電話までたどり着けずに数時間。ケータイメールが着信した。 ほら、やっぱり。高校3年生のクラスメイトからだった。 複雑でショックな内容だった。二日酔いなんてすぐに醒めた。残念なことに、この年齢になると、古い友人からのニュースは悪い知らせの方が多い。すぐに固定電話から電話をして相談。久しぶりに固定電話を使ったな、なんておバカな感想に逃げてはみても、現実から逃げることなんてできない。 みんなのところに手紙が届いていた。私の郵便受けにも、ある、はず。 内容はわかっていた。それから私は1階の郵便受けを開けるのを、何日も何日も、 ついつい忘れた。家出人の郵便受けのようになる前に、やっと取り出して。 ワープロで打ってはいても気持ちの伝わる簡潔で丁寧な文面と、 一画一画ゆっくり書いているだろう姿までも思い浮かぶ、住所と私の名前の文字に、震えた。 友だちって、何だろう。 「友だち100人できるかな?」という歌が子どもを脅している。という友人がいる。 その友人は「数じゃない質だ」という。 数じゃない、agree。でも質というのも、なにか、そぐわない気がする。 それは、友だちが必ず1人はいることを前提にしているからだ。 友だちが1人もいない豊かな人生だってあるだろう、と思う。 もし脅されてるなら、友だちはこうあるべき。という枠みたいなものじゃないのかな。 友だちって、何だろう。 私は、友だちを、日だまりとかそよ風とか、そんな存在だと思っている。 風はいつも吹いているのに、気づいた時だけ、そよ風を感じるし、 太陽はいつもあるのに、気づいた時だけ、日だまりを実感する。そんな感じ。 だから、言いたくない事情を無理して言ってくれなくていいし、 毎日メールくれなくていい。友だちに、こうすべきって決まりなんてあるわけないよ。 大切な人は、記憶でもいい。 私は、9年前に亡くなった恩師にいまでも支えてもらってる、と思っている。 いまでも電話をすれば、クチを聞いてくれて的確なアドバイスをもらえるような気がする。 ただ都合が合わなくて、会えないだけのような。 記憶が支えてくれることって、ほんとにあると思う。 「そよ風」や「日だまり」みたいなきれいであったかいものには、到底なれないと思うけど。 無理でも、無理をしてでも、私は、そんな存在を目指してみたいと思う。 だから、気づいたとき、よかったら声をかけてみて。 # by earlgrey01 | 2009-12-08 18:39
![]() もし、どなたかを傷つけたらごめんなさい。 傷つけるかもしれないから、最初に、ごめんなさい。 ある平日の午後7時。 明るいくせに、なにもかも露わにする とことん冷たい蛍光灯の下、病院のベッドの傍らで。 「樹」を見ていました。 なにか、とてつもなく尊いもののカケラが、そこに横たわっていて、 ただ見入っていました。この不思議な存在はなんだろう。 あ、またやってしまった。(ひとりでお見舞いに来てるわけじゃないのに、、です) そう、いつものように、不用意にも足を踏み入れてはいけない場所に迷い込んでしまった。 そして、いつものように、気がついたときには、もう遅い。 だから、いつものように、神さまに翻弄されて、 狙ってもいないのに素数の秘密を解明してしまった数学者のように確信しちゃったのです。 人は「樹」になって死ぬんだ、って。 人間は、産まれるとき、お母さんのお腹のなかで、 生物の進化をひとつずつたどって赤ちゃんになると聞いたことがあります。 単細胞から霊長類にいたる40万年あまりを十月十日で旅をする。 そして、生物の長老「樹」になって「森のカケラ」になって溶けていく。 その発見で、私は不謹慎にもホッとしてしまいました。 「それなら、なんか、いいかなぁ」って。 永遠のような数秒間が過ぎて、 「ありがと」と聞き覚えのあるイントネーションの音。 現実は、「森のカケラ」の次元から約50cmの距離にあって、 ベッドに横たわるのは、森のカケラではなく、川柳の師匠。 師匠は、人が現れたら条件反射のように、その言葉を発するのでしょう。 人生の最期に、たぶんもう「あっち」と「こっち」を行ったり来たりしているのに、 「ありがと」と言い続ける、言い続けられる人は、幸福です。 そして、師匠の目だけが動いて私を見たのです。 正確に言うと、私の目をのぞきこんで瞬時に逸らせた。 その目が語ったのは「あぁ、興味のない人や」。間違いなく。 なんだ判断力は健在じゃない。師匠の人生にあまり関係しなかった数千人の弟子のひとり。 人が「樹」になって死ぬなら、師匠は、きっと桜の木です。 誰が木の下を訪れても、どんな時代が訪れても 何十年も何十年も、少しの遠慮もなく勝手にゴージャスに咲き乱れ、 人や虫や草たちを迷わせ大騒ぎさせて、 なんの断りもなく、口をつぐむ。 もう少し、ゴージャスな桜を見ていたかったなぁ。 もう少し、桜と一緒にお酒を飲みたかったなぁ。 そうやって、まわりを名残り惜しくさせるのも、桜の性悪なところ。 私の句 けなす人いる 月の夜 届いたかなぁー、蛍光灯の下の桜の樹に。 それにしても、「樹」と「寿」の音が一緒なのはどういうことだろう。 「寿」はもともと「長い道のり」の意味で、その漢字ひとつだけで長寿を表します。 「寿命」は「樹命」。ほんとだったりして。 # by earlgrey01 | 2009-11-17 17:20
![]() 偶然ループはいまも絶えまなく続いています。 ある人のことを考えていたら、その人がカラオケでぜったい歌う曲が聞こえてきたり。 もう数年音沙汰のない従姉妹を思い出していたら、その瞬間電話が鳴ったり。 ブログ更新の送信クリックをしかけたら、ケータイに”ブログ更新してね”メールが届いたり。 舞鶴の川柳の会に出席したら、四代目旭堂南陵師匠の講談がまたまた「西行」の話だったり。 靱でセレブ犬をみながら”猫がいいな”と思ったら、黒猫がワケあり顔で擦り寄ってきたり。 最近では、「恐ろしい」というより「面白い」ことになりつつあるようです。 異常も日々続くと、正常にはならないけれど日常にはなります。 悪いことが起こってるわけじゃないからいいんじゃない? という意見も多いけれど、 はがれかけのカサブタみたい。私のナーバスぶりをみかねてオーラが見える友人が「神社仏閣に行けば?」とアドバイスをくれました。「神社?仏閣?」と訊くと「どっちも」との答え。軽く立ち止まりそうになったけれど、そこは素直な気持ちを脳の奥の奥から引っ張り出すことにしました。 京都に行けば神社仏閣も選び放題。でも政敵の怨念を鎮めるために建立したお寺や応仁の乱や幕末の血なまぐさい出来事があったお寺は、今回のテーマにそぐわない気がして奈良へ。 いまの私は、ふくよかなお肉のようなココロに、大陸の風をそのままに 「ムダだって”美”なのよ」とウインクするような仏さまに会いたかった。 となると唐招提寺。失明までして日本にたどり着いた鑑真和上のお寺なのに、 悲壮感はまったくなく、おおらかでのびやかな天平の甍。 日曜日の遅い午後。 遠回りして田圃のあぜ道にある自転車道路から行ったのも正解でした。 町全体が「うららか」という言葉を風景にしました、と照れくさそうにつぶやいてるよう。 お寺の佇まいも、修行なんてしなくても極楽に行けそうだと確信しそうな優美さ。 完璧な日曜日。 完璧な風景。 完璧なリラックス。 中国からの観光客のみなさんも風景になじみ、平成の大修理中の金堂の横を入って新宝蔵へ。国宝や重要文化財の仏像が安置されているギャラリーのような場所。大陸のお肉のゴージャスさをたっぷりと感じていました。 そのとき、ふと気になったのです。 なぜ、ほとんどの仏さまの肘から先がないのだろう。 ひょっとして、廃仏毀釈? 昔キリシタン狩りのとき、マリア様の手を切って観音さまとして信仰していたとか。 明治の廃仏毀釈の時は、印を結べないように手を切った。という話を思いだしました。 唐招提寺の仏さまがそうかどうか、ネットで調べてもわからなかったけれど、 確かにそんな話はあってずっと忘れていました。 選んで奈良にきたのに、結局、人間の悲しいところを思い出すハメになった。 タリバンのバーミアン破壊も、知らない国の知らない民族の出来事では決してないのですね。 冴え冴えと痛い秋の空みたいな気持ちを抱えて「薬師寺」の弥勒如来へ。 弥勒菩薩が56億7千万年後の危機に再び現れ、人々を救い如来になる。 その如来になった未来の姿をうつした、時の彼方からタイムトラベルしてきた仏さまです。 56億7千万年かけて育てた、 ふくよかなお肉と、 ふくよかなお肉のようなココロ。 人間のガキ大将ぶりも許してくださるのかなぁ。 私のカサブタ系偶然ループもミクロのレベルの出来事なのだろうな。 単純だけど弥勒如来さまのおかげで少しだけふくよかな気持ちが回復しました。 帰り道、なぜか、 頭の中をドラゴンクエストのスライムキングが とぼけた顔で走っていきました。 56億7千万年なんて途方もない時間とは無関係だけど、 プヨプヨって、なんか、幸せ。 追伸:話は少し戻って、 奈良の顛末を先輩に話していると、 「奈良のお寺だって、政敵の怨霊を鎮めるために建立されたんだよ。 法隆寺がそうだろ」と。 そうだった。法隆寺は聖徳太子に静かに眠ってもらうために、 奈良じゃないけど神社だって、 出雲大社はオオクニヌシノミコトを封じ込めるため、 伊勢神宮だってアマテラスの力を中央から遠ざけるためのものだった。 奈良も神社も政敵の怨念と関係ないって、思い込みでした。 それにしても、不遇の思いをしたパワーのある人を封じ込め、 あがめて、そのうえ御利益までネダるのだから、 日本人の健忘症とちゃっかり度もけっこうなものですね。 # by earlgrey01 | 2009-10-27 17:55
![]() 先日、ジャズピアノのライブに友人Mさんとみんなでいきました。 ブログにはコメントをもらっていたけれど、血まみれ事件からはじめての再会。 文句のひとつも言ってやろうと意気込んで、ライブ前に新地のうどん屋へ。 私 「もう消えちゃってるけど、左手首の掴まれた跡、ひどかったんだから!」 Mさん「気が付いたら地球に頬ずりしてて、まったく覚えてないねん」 私 「でも、内出血は正直やもん。ちゃんと引っ張ってるもん」 Mさん「あの日、右手にカバン左手にサックス持ってたから、 ほんとは、腕が3本ないと手首掴まれへんねんけどなぁ〜」 「えっ?」 そういえば、あの夜、1軒目のイタリアンに行く途中に急に雨が降ってきて、 私は友人のサックスを心配した。何年か前、土砂降りの日も一緒に飲んでいて、友人の自分が濡れることよりもサックスをかばう姿が、とても印象的だったからだ。 そうだ。私は転んだ日の翌日も気になって「サックス大丈夫だった?」と尋ねたのだ。 確かにカバンも持っていた。サックスは大きいから片手で両方持つのは無理そうだった。 しかも、すごい酔っぱらい。 「うん? じゃ、誰が私の手首を引っ張ったの???」 ひょっとして、第3の可能性?! スーパーナチュラル? しかも、あの日はお彼岸中だった。 しかも、丑三つ時、、、きゃーーーー! スーパーナチュラルの世界を、私は否定も肯定もしません。 だって、それは、そこにそのようにあるだけで、現実でも超現実でも錯覚でもかまわない。 説明のできない何かは間違いなく存在するし、それが霊として語られているような姿かどうかがわからないだけと思うから。 問題は、悪意なのか? 救助なのか? 根拠はないけど、私は、救助説をとろうと思います。 仕事でもプライベートでも誰かに恨まれてるかも〜、という不安も覚悟も、ある。 でも、緊急事態で誰かが助けてくれるかも♡、という甘えも期待も確信も、ある。 きっと、誰かが助けてくれたのだ。 あやうく中島らもになる所だったかもしれない。 助けてくれたのは、あの人かもしれないし、あの人かもしれない。 みんないい人じゃん、と考えを巡らせるのもうれしい。 そういえば、まだ手首の内出血が残っているとき、ヘアサロンで血まみれ事件の話をした。 「ほら、掴まれた跡」と言って、ちょっと誇らしげに自分の右手で掴んでみた。ぴったり!!あまりのぴったりさにスタイリストは「ひゃー」と言って後ろに飛び退いた。 えっ、なんで私の右手にぴったりなの? 自分で自分を助けた? 未来の私が私を助けた、、、とか。 あー、ワケがわからなくなってきた。 スーパーナチュラルの世界は、奥が深いです。 # by earlgrey01 | 2009-10-15 13:12
![]() ちょっと前、すごく酔っぱらって顔にケガをしました。 いつものように記憶はなく、朝起きたら血まみれだった。しかも痛みもなかったらしく、 帰宅してからソファーやベッドやキリムの上でお気楽にゴロゴロしちゃったようで、 部屋はちょっとしたホラー映画。純白のブラウスも買ったばかりのエメラルドグリーンの スカーフも血まみれ。二日酔いの頭を抱えてフテ寝してみても、結局自分で掃除するしかなく丸1日つぶしてしまいました。 会社に行くと、若いスタッフにとっては尋ねるのも震えるほどの傷跡だったらしく、見えないフリをするだけ。ほかの仕事の現場では「それ転んだんじゃなく、轢き逃げちゃいますか?」と言われる始末。ケガをした日の最後に行ったバーでは、お客さんなのに数杯しか飲ましてくれません。ぐすん。 神様メッセージとか言わなくても、ええ加減にせんとあかんのはわかります。はい。 それから、数日たって。 うん? まつげが伸びた? うん? マスカラをした感じが違う。 うん? お肌もツヤツヤァ〜?! そういえば昔、テニスのミックスダブルスで、味方の男子の弾丸サーブをふくらはぎに受けたことがある。倒れるほどの衝撃で、内出血は直径約25cm。しばらくすると、その傷のまわりにうっすら産毛がはえてきたのだ。まるで「微力ながらおカラダをお守りいたします」とでも言うかのように。 ひょっとして今回も、必死に目を守ろうとしてる? すごいパワーで新陳代謝してる? かわいいカラダ、バカなカラダ。 にしても、ということは、、、、、、時には顔も刺激した方がいい? アンチエイジングの新しい方法だったり、、、とか、顔ケガ美容法???? あーダメダメ違う違う。 よい子は、ぜったいに真似しないでくださいね。 あれから、約2週間、アゴの傷が残るだけでほとんどわからなくなっています。 それと一緒に、反省も消えてしまわないことを祈るばかりですが。 でも、最後に、疑問がひとつ残っています。 ケガから3日後ぐらいに左手首に誰かに掴まれたような内出血が浮き出てきました。 これって、一緒にいた友人が、 1.友人自身が転ぶ時、私を道連れにした。 2.私が転ぶのを助けようとしてくれた。 3.ほかの理由。 私のまわりでは、圧倒的に2の票が多い。それも気に入らないのよね。 でも真実はきかないでおこうっと。私の中では1に決定だから。 どうせ友人だって覚えてないと思うしね。 # by earlgrey01 | 2009-10-06 22:51
![]() 「西行」の本を読み、NHKドラマ「白州次郎」の3夜連続再放送を録画して、エンディングの曲(浜田真理子「しゃれこうべと大砲」)を探しあて、彼女の歌にはまっているところです。わざとグズグズしてるって思いますよね。そろそろ本題に入りましょうか。 白州正子著「西行」。1頁目を開いた途端、つぎの文章が現れました。 <以下、著書から転載> 空になる心 そらになる心は春の霞にて 世にあらじともおもひ立つかな 山家集の詞書に、「世にあらじと思い立ちけるころ、(中略)」とあるから西行が二十三歳で出家する直前の作だろう。いかにも若者らしいみずみずしさにあふれているとともに、出家のための強い決心を表しているが、(中略)春霞のような心が、そのまま強固な覚悟に移って行くところに、西行の特長が見出せると思う。 (ここまで転載) ほらね、これを見て何も思わないでいるのは難しい。 私にとって大切な名詞、いえ、この場合は固有名詞から始まっているのだから。 そして、その強い決心と覚悟を詠んだ歌。 偶然ループだの、神様メッセージだの、現実も空想も思い込みも、あちら側もこちら側もないまぜにして、いま混乱しているならその混乱の中で遊んでみよう。もしそこに神様の声があるなら聞いてみたい。そうは思ったのだけど、、、。 これはちょっと、偶然がすぎるというか、イタズラがすぎるというか。 卒論でテーマにするぐらいだから、この歌は知っていました。 でもすっかり忘れていました。 だって西行といえば「花」、そして「月」。 西行はもともと裕福な武士で、出家したといっても数奇を愉しみ女性にモテ、人に会い花を訪ねて旅し恋ごころを抱く。「悲しい」にしても「うれしい」にしても「恋しい」にしても「あはれ」にしても、気持ちがたゆたゆとほとばしり大騒ぎして、くるおしい歌を詠む。仏道修行や達観ってなんだったっけ、と考えたくなるほど、とにかくやっかいなオッサンなのだ。 出家のきっかけにしても、友人の急死という説と、奔放な女性というか過酷な運命を生きたというか、保元の乱の原因もつくった待賢門院璋子に恋し”あこぎの浦ぞ”とこっぴどく振られたからという説があって、たぶんどっちも、なんだろうけれど。 その待賢門院璋子を想いつづけ、グズグズと恋の歌を詠みつづける。 出家したにもかかわらず、自分も誰も抱えきれない感情の宇宙を生きた人だ。 数十年ぶりに西行の歌にふれ、白州正子の考察を読みながら、 考えるところはたくさんあった。 彼女は「空になる心」から「虚空の如きなる心」への変遷を書こうとしているのだ。 西行にとって歌を読むこと自体が修行であったのかもしれない。 本を読み終わって、もう一度、社名にこめた気持ちを思い出してみました。 それはある意味、「空」になる心、だから。 むりやり教訓めいたことをひっぱり出す気はありませんが、 ここは素直に、覚悟してやりなさい。ってことなんでしょうね、きっと。 ちなみに、最近、近所に「COCOO(虚空)」というカフェができました。 21世紀の大阪では「空」と「虚空」間、約30m。 # by earlgrey01 | 2009-09-28 01:35
![]() なんかくやしいから、思わせぶりな神様のメッセージをこちらからハンティングしようと思いたちました。メッセージを正確にうけとったら、神様だって文句はないはず。まずはルール。偶然が1つか2つだったら「単なる偶然」。3つ重なったら「神様メッセージ」に決定して、もう一歩踏み込むことにしたのです。 第一候補は、大川のアヒル。 新聞で初日にしぼんだ。というニュースを見た → 友人がアヒルの写真を送ってくれた → 八軒家浜のリバーカフェは高校の先輩の運営でそのポスターをつくった はい3つ。アヒルくん、当確です。 つぎは、西行。 TVをつけたら白州正子特集だった(白州正子にも白州次郎にも興味はなかった) → 小林秀雄に師事していた(私がもっとも敬愛する文筆家) → そのとき紹介していた著書が「西行」 (私の卒論のテーマが「西行」「三島由紀夫」「遠藤周作」の美意識についてだった。 身の程知らずでしたが、、) はい3つ。西行さん当確です。 ということで、まずはアヒルくんに会いにいきました。 身長9.5m。夕日を背にして浮かぶアヒルくん。その佇まいの愛おしいことといったら。前日からのどんよりした気分が一気に吹っ飛んでしまいました。クオリティの高いカワイイものをみると、なんでこんなに癒されるんだろう。 ひとつひとつの細胞の中にある淀んだ水が、ハッピー水に入れ替わる感じ。 八軒家浜で横顔を見て橋を渡って対岸に。それから後ろ姿を堪能して八軒家浜に。 けっこう長い距離を2周したころには、私はすっかりごきげんさんになっていました。 ベンチでビタミンCドリンクなんか飲みながら、 星占いで「あなたのいちばん評価されている所を伸ばしなさい」と なんとでもとれるお言葉を思いだしました。 ひょっとしたら「ごきげん力」? 最近、沈むことが多かったからなぁ。 写真送ってくれたKさん、アヒルくん、ありがとう。 「ごきげん力」、回復の、、兆しです。 その帰り、友人に「偶然ループ」が恐いとメールしていたら、バッタリN先輩に会いました。私は大川から心斎橋まで歩く途中。先輩は弁天町から野球を終えて帰る途中。松屋町本町の道路上。道は100通りだって千通りだってある、どうやったらバッタリ会えると思う?はぁ。 アヒルくんのこと。 ラバーダック:オランダ人アーティスト、Fホフマン作 大きさ:高さ9.5m・幅9.5m・長さ11m 会期:9月27日まで フランス、ベルギー、ブラジルなど世界中を旅してきた子アヒルです。 # by earlgrey01 | 2009-09-24 01:47
20数年前、私がまだぺーぺーだったころからの恩師に「てっちり」をご馳走になりました。ミナミの雑踏の中。暖簾をくぐってびっくり。L字型のカウンターに7席。「日本一小さな ふぐ料理店」と言われているそうです。狭い店内では30代かなと思う3代目のご主人と、 お母さんかなと思う女将さんが小川が澱みなく流れるように動きまわっている。 店構え、味、お喋り、雰囲気。ぜんぶ私好み。いっぺんに好きになった。 ごきげんさんでお喋りしていると、常連さんと思われるお客さんが入ってきて、 お祝いを言っている。このお店がある本に紹介されているとのこと。 「お母さん、あれ見たら、ぜったいこんとあかんやろ」とお土産持参。 3ページにわたって特集されているその本を見せてもらって、もう一度びっくり。 記事の冒頭に、 『仕込みを終えた開店前。ひと時の休息をとる板前が、目の前を通る女性に目を奪われた。 中学の同級生だ。それからトントン拍子で結婚。(本から転載)』。 45年前、女将さんと2代目さんが運命の出会いをして、いまにつながっているそう。 よく似た話、最近、どこかで聞いたことないですか。 そうです、このブログの何回か前、会えない話でしたが、、、。 先代から受け継がれたポン酢は、常連さんも太鼓判をおすしぶとい味。 てっさは一切れで美味しくいただけるように薄すぎず厚すぎない厚みで料理。 てっちりは会話やお酒のすすみぐあいを見計らいながら、 ご亭主がいい頃合いまでたいてくれる。私はぜったいにこのスタイルが好き。 素人が鍋をつくると、たきすぎたり半生だったり。せっかくのいい素材がもったいないもの。 女将さんの会話も絶妙。『大阪弁』というよりも『大阪ことば』と言いたいようなやわらかいリズムが、お鍋のぬくもりをほんのり身体の芯まで届けてくれる。 これが、大阪でミナミで長くお商売をやってはるお店なんやなぁ、と深く感じ入りました。 花外楼さんみたいな大きな料亭ばかりが老舗と言われることが多いけど、 大阪の文化みたいなものを受け継ぐのなら、こんなお店やなぁ。 「運命のふく」のお店。 私の福も近所まできているのかもしれない、と思うとうれしくなった。 ほんまに、おーきに。 ふぐの夜、友人がピアノライブに誘ってくれて、もちろん先約があるから行けなかったけど。じつは、このふぐ料理店、そのライブハウスの入っているビルの真向かい。 それも、かなりびっくり。大阪のキタにもミナミにも、ライブハウスもふぐ料理店も何件あると思っているのよ。 それにしても、この偶然の多さ。 神様、もう、いい加減にしてーーー。 # by earlgrey01 | 2009-09-19 15:16
![]() しかもTVがついた瞬間に紹介していたのがこの本、『マタギ』です。農耕以前の最も原始的で本能に近い世界。狩猟関係の本が悪いはずもないのだけれど、なんとなく、踏み込みたくないカテゴリーの本だったのです。 というのも、エコを基本とする一部のライフスタイル本は、はっきり言って面倒くさい。 『ほーら、この生き方こそ正しいんだよ!』とか『ほんとうの幸せを知っている?』とか、 反論や異論なんてゼッタイに許さない新手の自慢をされているような、 その生き方を選ばないことを黙って批判されているような、そんな気がするからです。 天の邪鬼の代表としては「それなら、私は飽食の時代を享受して生きてやります」と宣言するしかない。そしてその後で、本当はそうでもないのになぁと悔やむのが悲しいのです。 なのになのに、です。この本には見入ってしまいました。 まず感動したのはサブタイトル『矛盾なき労働と食文化』。 そして、中で紹介されているマタギが行う『熊やうさぎの解体の手順』の記録写真。 グロテスクではなく医学書のように清々しく美しい写真たち。そしてすべては『鍋の中』へ。 私が見たかったのは、知りたかったのは、このように自然と対峙する人の姿だ、と。 その本を読みながら、アラブの格言を思い出しました。 「背の高い男はイチジクを喰い、背の低い男はその木の下で悲しげに死ぬ」 正義でも理屈でもなく、それは、そのように、そこにあるだけで、 「正しい」も「正しくない」もないのですよね。 「正しい」って、”これしかダメ!”って言い張る、わがまま娘みたいです。 原始の食べるという行為と、そこから生まれるココロにも届く本に触れながらも、 それでも私は矛盾を愛し、混乱を愛し、美も醜も善も悪も入り乱れた世界を愛したい。 「矛盾なき」美しさにたどり着くなんて、百万年ぐらい修行が足りないけれど。 できれば、いつか、と思います。 そんな私への神様のご意見かおはからいか、ここ4ヶ月ぐらいの混沌とした時間の中で、 生命の浄化を目指している人に会いました。まだ私の準備が足りないのか、 あんまり浄化の話しなかったなぁ。神さまのたくらみを想像すると、聞かないといけないはずなのに。それも、きっと、またいつかね。 『マタギ』ー矛盾なき労働と食文化ー 田中康弘著 枻(えい)出版社 # by earlgrey01 | 2009-09-15 16:46
![]() この夏、弊社でデザイン・イラスト・プロデュースしたものです。箕面だから「猿」。 なんとも単純ですが、めっちゃっ可愛くないですか? プレゼンして採用が決まったのもうれしいのですが、「猿」に決まったのがすごくうれしい。提案した中の数案は「ぜったいぜったいおすすめです。」と、プレゼンテーターとは思えない理屈を超えた熱っぽい発言をしてしまったほど。「猿」はそのひとつでした。 「好き」と「すごい好き!」の間。 説明できる「いい」と説明できない「いい」の間。 そこにあるのは、何だろう。 いままでの経験で言うと、理屈だけの「いい」は「なんかいい」にとうていかなわない。 誰かと恋をするときだって、理屈じゃないしスペックでもないし。 この前も友人たちと、坂町でハシゴしながら「”なんかいい”は、ほんとにいいのか論争」を 青くさい学生みたいに繰り広げてしまいました。 あの夜の私の主張は、時を超えて残る芸術はもちろん、心に残る映画や本、広告にも「原始のココロ」とか「プリミティブ」を刺激する本能感覚みたいなものがあって、何かが宿っちゃってるんじゃないかと思うのです。頭で「理解」をするんじゃなくて、身体で「わかる」ような感じ。しかもそれは個人差も人種や文化の違いもなく、誰もがいいと感じるのではないかと。 先週、偶然に見た、小澤征爾さんのBSの特集の中で 「人間の奥にはどれだけの量のエネルギーが眠っているかわかんないんだよね。 追いつめられたときに、ドーーっと放出されて、その量は出してみないとわからない。 そんなエネルギーに触れない人生もあるんだろうけど、 触れて生きるほうが人間としていいと思う」と言ってたし。(だいたいこんな意味) 気持ちの『熱情』、ベートーベンの『熱情』、箕面ビールの『お猿』、小澤征爾さんの言葉、 次回ご紹介するつもりの本『マタギ』。 また、私のまわりで同じテーマのことが起こっている。 神様、やっぱり、私にご意見あるんですよね。 あのお猿が、お使い? まさかそんな大切な役割があるなんて、とうてい思えないけどね。 # by earlgrey01 | 2009-09-13 18:03
![]() 投票にいくとき、私にはある習慣があります。ほんの少しだけ遠回りして帰るのです。過去への散歩気分。10代を過ごした町への挨拶、といえば聞こえはいいけど、そんな淡い感情ではありません。 中学生のとき、人としてはじめて『熱情』を感じた、同級生の家の近所を通って帰るのです。あのとてつもない日々を思いかえして、また出会いたいような怖いような。 そんな気持ちを抱きしめて歩く、何年かに1度の、何年かに数秒の切ない旅。 あの10代の日々、私はほんとうにおかしかった。 言葉もヘンで喋っても喋っても何度も聞き直され、意味が伝わらなかったし、 急に熱をだしたり、なぜかよくぶつかって転んだりもした。 人間の機能が、なにやら怪しくなっていた。そんなある日、ふたりで会うことになって。 切なくて激しい想いが叶う日。梅田の紀伊國屋書店のビッグマンの前、日曜日の午後1時。 なぜか、会えなかった。 嘘をつかれたわけではなさそう。でもそのとき、私のココロは、私自身の原始のココロに荒らされ疲れ切っていたのです。熱情はその日をきっかけに日常の影に身を潜めていき、それから普通につきあって彼が男子校に行ってお約束の自然消滅。 不思議なことにそれからの10年ぐらいの間、びっくりするほど頻繁に偶然に出会い、それと同じ数だけのワケのわからないすれ違いを繰り返したのです。 「それ、ぜったい、会うやろ」 運命の出会いを経験した友人は、 無責任に太鼓判をおしてはいるけど。 8月30日日曜日投票を終えて、体育館を出る。そこの角を曲がって、あの道に行くと商店街。そこから横に入る。百年経っても忘れるわけがない、目をつむっていても行ける道。 期待に酔っていると、、、え、ここどこ? 違う道に出たのだ。な、なんで。町は昔のまま。新しい家はあるけど道はそのまま。 どうやら、私の五感と本能がピシャリと感覚を遮断して道を隠しているよう。不思議の国のアリスの逆バージョン。アリスは人に見えない入口をみつけたけど、私は現実にある道が見えなくなっていたのです。 私の五感と本能は、いまの状況をクールに判断して、これ以上の複雑化はかんべんしてよー。と、ふて腐れた子どもみたいに黙りこんでいる。バカな本能、かわいい本能。 引き返したら辿り着けたと思うけれど、それはやめにして、CDを買いに行った。 Ludwig van Beethoven Piano Sonata NO.23 in Minor,Op57"Appassionata" 『熱情』。 じつはこの前のクラシックライブで、「ラ・カンパネラ」よりも「熱情」が気に入っていた。太古の森をさまようような暗さと重苦しさの中に、突然立ち上がる無垢な音たち。原始の想いとは、これほど壮絶で美しく恐ろしいものなんだろうか。YouTubeで気に入ったピアニストを見つけていたのだけれどお店にない。でもどうしても買って帰りたかったので、五感と本能にまかせてみることにしました。 五感と本能が選んだのは、ちょっとキムタクに似ている中国人ピアニスト。複雑化を避けるほど私のことを想ってくれているのなら、気に入るに違いない。ところが、まったく甘かった。どうやら五感と本能は生命にかかわらないことには興味がないようなのです。 彼の『熱情』は、絵空事できれいごと、のような気がした。 聞き手の私に彼の熱情を聴く能力がないのか、 弾き手の彼の演奏が私の原始の熱情に触れないのか。 できれば中国四千年の大地の奥の奥につながっている『熱情』を聴いてみたかったのだけど。 # by earlgrey01 | 2009-09-06 22:54
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